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All Races Review あの時の興奮をもう一度!・・・2003年


●IRLインディ・カー・シリーズ第3戦
ブリヂストン・インディ・ジャパン300 4月11日〜13日





この2003年からIRLが開催されることになった、ツインリンクもてぎのスーパスピードウエイ。みごとな快晴のもと、7万1000人の大観衆が見守る中で、インディ・カー・シリーズ第3戦がスタートした。日本初のIRL公式戦は、5年間に渡って開催されてきたCART時代の日本戦とは比べられないほどの、大波乱の展開となる。





サバイバル・レースの幕開けは、9周目にスコット・メイヤーがターン4でコンクリート・ウォールにヒットしたアクシデントで始まった。そのわずか8周後に、スコット・ディクソンとアレックス・バロンが接触。37周目にはターン3でサラ・フィッシャーと服部茂章が、46周目にロジャー・安川とエリオ・カストロネベスがからんでターン2の壁に激突するなど、相次ぐコーションでレースはなかなか先へ進まない。この時点で5回のコーションが発生し、グリーンだったのは約半分の27周。レース開始から1時間が経過しようとしていた中で、まだ55周しか消化していないという状況だった。





その後も荒れた展開となり、174周目にトップに立っていたのはカナーン。背後にディクソン、スコット・シャープ、フェリーペ・ジヤフォーニー、ケニー・ブラックと続く。いよいよ大詰めを迎えた177周目、カナーンがディクソンを従え、ターン3へ向かっていたその時のことだった。ディクソンはドラフティングを使っていっきにカナーンのインへ飛び込んだところ、両車は激しく接触。ディクソンはスピンしてマシンの左後方から、カナーンは右前から壁に激突してターン4の出口付近まで滑走するアクシデントに発展する。カナーンは左腕、ディクソンは右腕を骨折する大怪我を負い、以降のシーズンに大きなディスアドバンテージを背負うきっかけとなってしまった。





このクラッシュで3番手にいたシャープがトップに繰り上がった。4番手だったブラックは、周回遅れをごぼう抜きし、2番手のジヤフォーニーまでもパス。残り7周でトップとの差はわずか2.8348秒となった。レースはついにクライマックスを迎え、観客の視線はブラックの追い上げに集中したのは言うまでもない。


だが、その驚異的な追い上げも、中野とラジアーのクラッシュによって潰えることとなる。ついに9回目のコーションが発生し、その後2度とグリーンがひるがえることはなかった。200周のレース中、コーションは実に64周を数えた日本初のIRL公式戦では、出走24台中、実に13人がリタイア。大波乱のサバイバル戦を制したのはシャープで、2位に終盤のヒーローとなったブラック。そして3位がジヤフォーニーという結果になった。


日本人の最上位は、高木虎之介の8位フィニッシュ。2002年のもてぎ同様、またしてもピットで襲った不運がなければ、さらなる上位入賞が考えられただけに残念な結果といえる。高木はクルーの合図によってピットアウトしたが、マシンからまだ燃料ノズルが外れておらず、もう一度ピットインするペナルティが課せられてしまったのだ。中野信治とロジャー安川、服部茂章の3人はサバイバルに生き残ることができず、リタイアを余儀なくされた。


●(73kb-pdf) IRLインディ・カー・シリーズ第3戦 ブリヂストン・インディ・ジャパン300決勝結果





●優勝したスコット・シャープ(ダラーラ/トヨタ/ファイアストン)のコメント

「ワイルドなレースだったね。もてぎはホームステッドに似ているところがあるし、ホームステッドでは速かったから、ここへレースをしにくるのが楽しみだったんだ。このコースはバラエティーに富んでいてポジション争いが多いから、みんなはタイトなレースを予測していたよ。クラッシュが多いことは残念だけど、驚いてはいないね。デルファイのクルーが完璧なピット作業をしてくれたお陰で、レースはほんとうによかったよ。マシンが希望の速さになるなで少し時間がかかったけど、各スティントの最後には速くなっていた。リスタートからしばらくたった時点で、誰とでもバトルできるようになっていたよ。リーダーの2台がクラッシュしてリスタートした時点で、数台が僕の前に走っていた。前にいたみんなはほんとうに速かったから、追いつくのが大変だったけど、抜けないとしても3位に入る自信があった。レース中ずっと一生懸命戦ったから、この結果はうれしい」


●日本人ドライバーの挑戦





2003年からIRLインディカー・シリーズの一戦として行われたもてぎのレースには、過去最多となる4人の日本人ドライバーが出場した。トヨタとともにIRLへ参戦することになった高木は、予選3番手からスタートし、トップ争いを演じる活躍を見せる。しかし最初のピットストップ時にアクシデントに見舞われ、この一件でペナルティを受けて後退。最後までラップ遅れを挽回することができず、8位に留まった。同じくCARTからやってきた中野信治はスポット参戦で、この年初めてのレースに挑み11位を獲得。2000年からIRLに活躍の場を移し、1999年以来のもてぎとなった服部茂章は、サラ・フィッシャーと接触して49周目にリタイアした。この年トップ・カテゴリーへのデビューを果たしたロジャー安川は、他車から外れて飛んで来たウィングが、左フロント・タイヤに当たってハンドリングが悪化。5位走行中の46周目にアクシデントでリタイアに終わった。


高木虎之介(トヨタ/パノスGフォース/ファイアストン)のコメント: 
 

「クルマもエンジンも絶好調でした。スタートも決まって、トップ争いが出来たんですけど、最初の給油の時にペナルティを受けて、周回遅れになってしまいました。この遅れで、チームメイトを先行させなければならなくなり、ペースも上げられず、それ以上のポジションアップは困難でした。最後のピットインでは、同一周回にいた前の2台を抜こうと思い、タイヤを替えたのですが、イエローコーションが続き、結局それはかなわなかったです。8位という結果で終わりましたが、今回はとくに手応えがあっただけに、応援してくれた多くの日本のファンの期待に応えられず残念です。決勝レースで不運が続き、すべてがうまく回らないといい結果は出せないということを痛感しました。次の“インディ500”こそは、ミス無く、すべての歯車がちゃんと噛み合ったレースをして表彰台を狙いたいです」


中野信治(ホンダ/ダラーラ/ファイアストン): 


「午前中のプラクティスで、マシンのフィーリングをかなり良くすることができました。いいレースをできる自信はあったんですが、スタートやリスタートでのギアの使い方、エンジンの回転数の使い方がCARTの時とはまったく違っていたので、難しい面もありました。レースが進むにつれていろんなことがわかってきて、ポジションも上がって行ったんですが、後ろから突つかれてスピンしてしまいました。それもレースだから仕方がないんですが、残念なリザルトとなってしまいましたね。今回もてぎに参戦できたのは、協力して頂いた皆様のおかげだと心より感謝しています」


服部茂章(トヨタ/パノスGフォース/ファイアストン):


「フィッシャーと接触してしまいました。何とか完走しようと、ピットへ戻って時間をかけて修理したんですが、リア内部のどこかが壊れたらしく、振動が収まらず、レースを続けることを諦めざるを得なかったです。今週はずっとレースへの流れがあまり良くなかった。日本のファンの前でもっと良いレースを見せたかったんですが、とても残念。次の“インディ500”こそは、良い成績を挙げるべく、さらに体制を整えて全力で頑張り、悔いなく戦いたいです」


ロジャー安川(ホンダ/ダラーラ/ファイアストン): 


「午前中のプラクティスでマシンのハンドリングが良くなり、レースでもスタートからバランスが凄く良かったので、『今日は行ける』と自信を持っていたのですが、スタート後10周から20周の頃にアレックス・バロンのクルマから破片が飛んで来て、それが左フロント・タイヤに当たってしまいました。タイヤは交換しましたが、サスペンション部分に小さなダメージがあったようで、クルマの動きはガラリと変わってしまいました。それでも諦めずに攻めて行こうと思ったのですが、リスタート直後にタービュランスでマシンの動きが突然変わり、スピン、クラッシュしてしまいました。完走できなくて悔しいですが、この経験を次のインディ500に活かしたいと思います。そして、来年こそは日本で勝てるように頑張って行きます」


●プレイバック2003年〜シーズンレビュー〜



もてぎのレースがIRLの一戦として行われることになった2003年シーズン。1996年のシリーズ開始以来、アメリカ国内のオーバル・コースのみで行われてきたIRLに、初めて日本開催が加わることになった。全16戦で争われた2003年シーズンは3月2日、マイアミのホームステッドで開幕。もてぎのレースはCART時代と変わらない時期の4月13日、第3戦にスケジュールされた。その後、唯一の国外戦となる日本ラウンドを終えたシリーズは、再びアメリカに戻り、シリーズのメイン・イベントでもあるインディ500が第4戦に行われる。“マンス・オブ・メイ”とよばれる1ヶ月に及ぶインディ500の後、6月15日の第5戦テキサスからは、アメリカ国内のオーバル・コースを転戦。ミシガン、ゲートウエイ、カリフォルニアやナザレスなど、CARTでもお馴染みだったコースを回り、10月12日、再びテキサスで最終戦を迎えた。


ラインナップに目を移すと、2000年にIRLへの参戦を表明していたトヨタがデビューし、急遽参戦を決めたホンダはイルモア・エンジニアリングと組んでIRLへ。前年まで参戦していたニッサンのインフィニティは撤退したものの、シボレーは継続参戦を決め、エンジンは3メーカーが出揃う。シャシーはパノスGフォースとダラーラの2メーカー。タイヤはファイアストンの一社供給だ。





前年の2002年にCARTから移行していたペンスキーは、トヨタ・エンジンを採用してジル・ド・フェランとエリオ・カストロネベスを継続起用。CARTから引き続きトヨタ・エンジンを使用するチップ・ガナッシは、スコット・ディクソンとトーマス・シェクターを起用した。ホンダ・エンジン勢の中心はアンドレッティ・グリーン・レーシングのオーナー・ドライバーであるマイケル・アンドレッティ(インディ500まで)に加え、トニー・カナーン、ダリオ・フランキッティ、ダン・ウエルドン(もてぎより参戦)の3カー体制で挑んだ。シボレー・エンジンを積み、IRLの強豪古参チームであるパンサー・レーシングは、2年連続チャンピオンのサム・ホーニッシュJr.を継続起用した。





日本人ドライバーは2000年からIRLに挑戦していた、A.J.フォイト・エンタープライズの服部茂章に加え、トヨタとともにCARTから移行してきた高木がモー・ナン・レーシングから参戦する。フェルナンデス・レーシングとタッグを組んでアメリカに戦いの場を求めた日本のスーパー・アグリは、ルーキーのロジャー安川を起用。中野信治がベック・モータースポーツから、もてぎとインディ500にスポット参戦した。


2003年のIRLは2000年から準備を進めてきたトヨタが、インディ500及びマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得。ドライバーズ・タイトルは、シーズン中11人の異なるウイナーが誕生したことで、最終戦まで決着が付かなかった。最終戦的に絞られたタイトル候補は、ディクソン、ド・フェラン、カストロネベス、カナーン、ホーニッシュJr.の5人。その中でチャンピオンを手にしたのはディクソンだった。





IRLのデビュー戦となる開幕戦で初参戦、初優勝を達成したディクソンは、シーズン中最も多くレースをリード。開幕戦に続き、第6戦と第7戦で連続優勝を記録したことで、タイトル争いを優位に進める。ペンスキー勢のド・フェランは第3戦もてぎの負傷欠場が大きく影響し、チームメイトのカストロネベスももてぎでの一桁ポイントが、最後まで尾を引いた形となった。ホンダ勢のカナーンは第2戦で優勝するも、その後安定した成績を収めることができずに低迷。唯一シボレー勢としてタイトル争いに加わったホーニッシュJr.は、エンジンの大幅なバージョン・アップにより、終盤5戦で3勝を挙げる活躍を見せるが、ときすでに遅し。序盤はインディ・ジャパンの負傷などで安定した結果を出せなかったディクソンだったが、シーズン中盤に入り、第8戦以降優勝はなかったものの、2位フィニッシュが5回。確実にポイントを稼いだことで、初参戦で見事にチャンピオンを獲得してみせた。


●(13kb-pdf)IRLインディ・カー・シリーズ第3戦 ブリヂストン・インディ・ジャパン300 出場者リスト


●2003年トピック

鈴木亜久里、最高峰への挑戦



2002年12月10日、元F1ドライバーである鈴木亜久里が、パートナーシップを組むオートバックスとともに、2003年からインディ・カー・シリーズへの参戦を発表。IRL史上初めて、日本人オーナーが誕生することになった。チームはフェルナンデス・レーシングとのジョイント体制での参戦。ドライバーにはロジャー安川が起用される。日本とヨーロッパでのレース経験が豊富な鈴木亜久里のアメリカ挑戦は、大きな衝撃をもって受け止められた。


1972年にカートでレース・キャリアをスタートさせた鈴木は、1979年に全日本F3に参戦。全日本ツーリング・カー選手権、富士GCシリーズを経て、1987年に国内最高峰クラスである、全日本F3000にフル出場する。88年にはチャンピオンに輝き、同年行われたF1日本グランプリでは、ラルース・ローラからスポット参戦を果たし、世界最高峰の舞台へ駆け上がった。


1989年はザクスピード・ヤマハで、全戦予備予選落ちと言う苦汁を嘗めるが、翌年はランボルギーニ・エンジンを搭載するラルースで大活躍。イギリス、スペインでポイントを獲得するほか、地元の日本グランプリでは3位入賞を果たし、日本人として初めてF1の表彰台に立つ快挙を達成する。92年に無限ホンダ・エンジンを搭載するフットワークへ移籍。94年にジョーダン、95年はリジェからF1にスポット参戦するものの、勝利には届かず、95年をもってF1から引退することになった。


F1ドライバーとしてのキャリアを終えた鈴木の次なるプロジェクトは、世界で戦えるドライバーを育成することだった。


1997年、オートバックスとパートナーシップを組み、ARTA(オートバックス・レーシング・チーム・アグリ)を設立。1998年にレース参戦活動を開始する。以後、JGTC(現スーパーGT)やフォーミュラ・ニッポンといった、国内トップ・カテゴリーから、F3、モータースポーツの底辺となるカートまで、幅広い活動を続けた。国内のみならず、海外進出する有望な若手ドライバーも積極的にサポート。2001年にはドイツF3で金石年弘がシリーズ・チャンピオンに輝いている。


これまで世界中のステップ・アップ・カテゴリーに、ドライバーを送り込んできた鈴木が率いるARTA。次なる挑戦は、チームとして最高峰シリーズに参戦することだった。その舞台として選ばれたのがアメリカ、IRLインディカー・シリーズ。ホンダのIRL参戦、オートバックスのアメリカ市場進出といった好条件もそろい、2003年の参戦は絶好のタイミングと言えた。1995年から独自にリサーチを開始していたという鈴木は、参戦するに当たり経験のあるチームとパートナーシップ組むことを選択。そして、チップ・ガナッシ・レーシングを頂点に導いた立役者である、トム・アンダーソンが指揮をとるフェルナンデス・レーシングとジョイント、申し分ない体制も整った。


1年目のドライバーには、フォーミュラ・アトランティックへのステップ・アップをサポートした、ロジャー安川を起用。何もかもが初挑戦だったが、アメリカのレースで育った安川は快走を見せ、最高位7位、シリーズ・ランキング12位に食い込む活躍を見せた。2年目となる2004年シーズンは、ドイツF3、フォーミュラ・ルノーV6シリーズを戦ってきた松浦孝亮を迎えいれ、オーナー・ドライバーであるアドリアン・フェルナンデスがCARTから移籍したことで、姉妹チーム内で情報共有して戦闘力が向上した。ルーキーながら松浦は、最高位4位、シリーズ14位に入り、2004年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。また、インディ500での好走も認められ、インディ500のルーキー・オブ・ザ・イヤーも受賞した。


2005年、2006年もドライバーに松浦孝亮を継続起用。2007年は引き続き松浦が残留するも、ジョイントチームをかつてのチャンピオン・チームである、パンサー・レーシングに変えて勝利を狙う。2003年の参戦から早5年。いまだ勝利はつかめていないものの、アメリカン・レーシングにアグリの名は定着した。更なる高みを目指し、次世代ドライバーに夢を託す鈴木亜久里の挑戦は、まだまだつづく。


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