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All Races Review あの時の興奮をもう一度!・・・2000年


●フェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第4戦
ファイアストン・ファイアホーク500 5月11日〜14日





5月の開催となった3年目の日本ラウンド。ホンダとトヨタの日本勢は、3連覇を狙うフォードを阻止し、なんとしても地元での初勝利を手にしたい。トヨタは通常のエンジンに加え、レース用の“もてぎスペシャル”と予選用の“片バンク・ターボ(SST=シングル・サイド・ターボ)”の3種類のエンジンを持ち込み、万全の体制を構築。独特の低周波サウンドを放つSSTエンジンにもてぎは騒然となり、ホンダからトヨタへ移ったチップ・ガナッシのモントーヤとバッサーが初日から上位をキープし続ける。


注目の予選、モントーヤは狙いどおりポール・ポジションを獲得し、トヨタが地元で最速タイムをマークした。最終プラクティスでトップだったフォードのブラックは、タイム・アタック中にエンジンがブロー。急遽バックアップ・カーに乗りかえて1周のみのアタックとなったが、それでも2番手につけてみせる。過去2年連続ポールだったホンダの予選最高位は、ド・フェランの5位と出遅れてしまった。





無情にも土曜日の決勝は雨となってしまい、翌日に順延。にもかかわらず日曜日は5万2千人の観客が訪れ、青空の中、午前11時39分にレースがスタートする。モントーヤを先頭にした2周目、ターン4でスピンしたセルビアがピット・ウォールに激突してイエロー。再スタート後、4位だったバッサーがモントーヤの後ろにつき、ガナッシ勢によるワンツー体制となった。


前年までホンダ・レイナードで戦っていたガナッシは、この年からトヨタ・ローラに変更。4年連続のチャンピオン・チームを自陣に加えることができたトヨタは、この光景にさぞ胸を躍らせたことだろう。しかし127周目に2番手のバッサーが突如スロー・ダウンし、ピットに戻るとそのままガレージへ。予期せぬ駆動系のトラブルで、同じ問題が発生しないかと心配されたモントーヤだったが、174周目の最後のピット・ストップ後もトップのままコースへ復帰する。





ついにトヨタが地元日本で初優勝達成かと誰もが思い始めたその矢先、なぜかモントーヤが再びピットへと戻ってきた。静まり返る場内、その原因は先ほどのピットの際にターボ・ブースト圧をコントロールするポップ・オフ・バルブの配線が外れてしまい、ターボが効かなくなっていたのだ。クルーが配線を付け直すのはほんの10秒足らずのことだったが、モントーヤは8位まで後退を余儀なくされ、万事休す。





レースは残り9周、トップは予選8位から追い上げてきたアンドレッティ。その後はフランキッティとモレノが追う中、カナーンのエンジンがブローしてフル・コース・コーションとなった。オフィシャルの懸命な作業により、残り5周でレースが再開。2番手のフランキッティがアンドレッティにアタックをかけるも、マシンが突如ナーバスになって後退し、後ろのモレノが襲いかかる。フランキッティは自分のポジションを守るしかなく、アンドレッティがそのままゴールして通算39勝目、フォードがもてぎ3連覇を決めた。


ホンダはフランキッティの2位表彰台で、またも勝利はお預け。トヨタはダ・マッタの4位が最高で、201周中172周もリードしたモントーヤは結局7位となった。期待の日本勢は、ミルウォーキー・テストでクラッシュし、休戦していた中野が病み上がりながら予選で11位、決勝は14位で完走する。一方の黒澤はトラブル続きで、レース中に無線が通じなくなった上にブレーキも壊れ、ピット・ストップする際に黒澤がクルーに接触したとオフィシャルが勘違いして失格。そのままリタイア扱いになるなど、不運に終始した凱旋レースとなってしまった。


●(24kb-pdf)フェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第4戦 ファイアストン・ファイアホーク500 決勝結果
 




●優勝したマイケル・アンドレッティ(フォード/ローラ/ファイアストン)のコメント
「昨日雨が降ってレースが見られなくなり、日本のファンはさぞがっかりしたと思う。でも、僕にとってはまさに恵みの雨で、降っている間ウォームアップで壊れた部分を直すことができたんだ。もしあのままレースだったら、きっとセッティングが決まっていないTカーで走らなければならず、そうなったら絶対に勝てなかったと思う。だからこそ、またこうして大勢の日本のファンが集まってくれたのはとてもうれしいし、みんなの目の前で勝つことができて良かったよ」


●日本人ドライバーの挑戦

2000年は中野信治と黒澤琢弥の二人が出場。F1でプロスト、ミナルディを経てチャンプ・カーにやってきた中野は、ミルウォーキーのテストでクラッシュを喫し、開幕戦以来の出場となった。病み上がりながら予選で11位を獲得すると、決勝では堅実な走りで14位を獲得。一方の黒澤はトラブルが多発し、レース中に無線が通じなくなった上にブレーキにもトラブルが発生する。極めつけはピット・ストップの際に黒澤がクルーに接触したとオフィシャルが勘違いして失格になるなど、不運が付きまとう結果になってしまった。





中野信治(ホンダ/レイナード/ファイアストン)のコメント: 
「フルタンク状態でのセッティングを試す時間がなく、ほとんどぶっつけ本番だったこともあって、ターン1〜2ではオーバーステア、ターン3〜4ではアンダーステアという苦しい状態でした。また後半、自分のミスで走行ラインを外してしまって、タイヤのグリップを取り戻すのに時間がかかり、遅れてしまいました。久しぶりのレースでしたが、体は問題なかったし、感覚も完全に戻ったので、これからはガンガンいけると思います」


●プレイバック2000年〜シーズンレビュー




20世紀最後のシーズンとなった2000年。3月25日の開幕戦はホームステッドで前年と変わらないが、もてぎは5月開催の第4戦に移った。3回目のもてぎのレースは土曜日の決勝が雨で順延。全員が月曜日に帰国することになり、飛行機やホテルの手配で旅行代理店はちょっとしたパニックとなる。前年同様、夏場の3連戦が2回あり、9月からハイペースが落ち着いてフォンタナの500マイル・レースで日程が終了するスケジュール。もてぎに加え、ナザレス、ミルウォーキー、最終戦フォンタナの4回が天候不良で順延となる、極めてめずらしいシーズンだった。


前年、4連続チャンピオンに輝いたチップ・ガナッシ・レーシングが、タイトル獲得に貢献したホンダ/レイナードから、未勝利のトヨタと低迷の続くローラへ変更する決断をするなど、2000年はエンジンやシャシーからドライバーにいたるまで、多くのチームが体制を一新させた。1997年以来勝利から遠ざかり、不振の続くペンスキーは、ド・フェランとカストロネベスを起用し、ホンダ/レイナードの強力パッケージで復活を狙う。名誉挽回を狙うメルセデス陣営は名エンジニア、モーリス・ナンが興した新チームをバックアップ。レイナードの5年連続タイトルを阻止したいローラは、アンドレッティとフィッティパルディを擁するニューマン/ハースとワークス関係を復活させた。ルーキーは前年にインディ500を制したケニー・ブラックや、中野信治、黒澤琢弥といった日本人ドライバー勢が新しくエントリー。前年にグッドイヤーが撤退し、この年からファイアストンのワンメイクとなった。


チーム体制の変化がシーズンに反映されたためか、11人のウイナーが誕生する混沌としたシーズンとなった2000年。開幕から第7戦まで毎回異なるドライバーが優勝を飾り、第5戦のジル・ド・フェランによるペンスキー・チーム3年ぶりの勝利や、第6戦でファン・モントーヤによるトヨタ・エンジンの初優勝と、印象的なシーンが見られた。


その中で表彰台を8回獲得し、ポイント圏外のレースが5戦のみとコンスタントにポイントを重ねたペンスキーのジル・ド・フェランが、わずか2勝ながらタイトルを手にする。ペンスキー・チームにとっては1994年以来のタイトルとなり、ホンダ/レイナードは5連覇を達成した。また、ド・フェランは最終戦フォンタナの予選において、クローズドコースにおける1周平均の世界最高速記録、241.428mph(388.540km/h)をマークした。


●(14kb-pdf)フェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第4戦 ファイアストン・ファイアホーク500 出場者リスト


●2000年トピック

20世紀最後のシーズンで登場した様々な記録


「正直言って、シーズンがスタートした時には50勝なんて、まったく考えていなかったよ」


ホンダのCART参戦の首謀者として、プロジェクトを立ち上げてから最後まで指揮を執り続けたHPD副社長、朝香充弘は50勝達成をそれほど意識していなかったと言う。


「毎戦毎戦を勝とうと思ってやっているわけで、トータルを勘定するのはシーズンがおわってから。ふと気がついたら、『あ、もう49勝だ』って感じだった」


1994年から参戦を開始し、50勝目を達成したのは119戦目。記念のコースとなったミド-オハイオは、偶然にもホンダの工場が近くにあり、アメリカでの第2の地元ともいうべき場所でのレースだった。


「あっという間に過ぎた6年半だったけど、50勝までは早かったと思ったね。こんなに早く獲れたのはビックリした。感慨深いのは、ホンダの歴史の中に残るひとつのステップを、成果として記録できたことだね」


この2000年はホンダの50勝以外にも、様々な新記録が生まれた。中でもホンダ/レイナード/ファイアストンという最強パッケージを手に入れたペンスキーは、第5戦のナザレスで待望の100勝目を達成。1997年のゲートウエイで99勝を記録して以来、2年間も勝てなかった名門チームにとって、渇望していた勝利だった。


グッドイヤーを前年いっぱいで撤退に追い込んだファイアストンも、第14戦のロード・アメリカでアメリカン・オープン・ホイール・レーシング復帰100勝目をマーク。1995年にブリヂストン傘下でレースに復帰し、その年のミシガンで優勝して以来、6年目で達成したレコードだった。


第10戦トロントではアンドレッティが現役最多の40勝を記録し、父親のマリオに次ぐ歴代3位の勝利記録保持者となる。1986年のロング・ビーチで初優勝を飾ってから、実に15年の歳月が流れていた。


誰にでも思い出深い初めての勝利だが、この2000年は開幕戦ホームステッドでパピスが参戦5年目(60戦目)、第7戦デトロイトでカストロネベスが3年目(36戦目)、第9戦クリーブランドでモレノが7年目(70戦目)、第12戦シカゴでダ・マッタが2年目(32戦目)と4人が初優勝を達成。第6戦のミルウォーキーではトヨタが悲願の初優勝を果たした。


開幕から7戦に渡って毎回異なるウイナーが誕生し、このシーズンで勝利したドライバーが全部で11人というのも新記録。また、第2戦のロング・ビーチでは日本人として初めてレースをリードした、黒澤のことも忘れるわけにはいかない。1年に4回もレースが順延されたことも過去に例がなく、CART史上8回の順延のうち、半分はこの年に記録されたものだ。20世紀最後のCARTは、様々な記録ラッシュのシーズンでもあったのだ。


●2000年トピック
トヨタ初優勝までの5年間



「今まで何度もチャンスを失っていただけに、最終ラップを迎えるまでは気を抜けませんでした」


1996年から参戦を開始し、2000年の第6戦ミルウォーキーで悲願の初優勝を遂げたトヨタ。日本人の代表として初年度から最前線で奮闘していた米国トヨタ自動車モータースポーツ担当副社長、木下美明は待ち焦がれた初優勝の瞬間を語る。


「ついに肩の荷が下りたと言うか、一瞬にして力が全身から抜け落ちたような感じですね。時間が経つにつれ、勝った喜びというのがじわじわとこみ上げてくる。いやー、ほんとうに良かった。うれしいです」


それは、トヨタにとって78戦目のレースだった。5年目にしてようやく味わうことができた勝利の美酒。苦しみ抜いたこれまでの出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。


「トヨタがCART参戦の計画を立てたのが、93年ぐらいだったのですが、参戦を始めた96年までに他のマニュファクチャラーの物量を含めたレベルがいっきに上がったんです。この計画の読み違いが、すべての原因でしたね」と木下は徒労に帰した参戦当初を振り返る。


「それまでのトヨタはSWC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)に参戦していた92年当時、V10エンジンを年間60〜80基ぐらい作った経験しかなかった。それが96年には250基も用意しなければならず、年を追うたびに300、400と増えていったんですよ。だから最初はレース用のエンジンを用意するだけで精一杯。開発用は97年になって1週間に1基だったのが、2000年には30基も回すことができるようになったんです」


1997年にモータースポーツ部の部長に就任した嵯峨宏英が付け加える。


「結局、会社がレースをできる仕組みになっていなかったんですね。参戦当初はエンジンを手作業で作っていたほどで、ばらつきが多かった。そこで全部を自動加工できるシステムをソフトを含めて導入したんだが、予算が無いのに強引にやって、支払いをどうするかで1年も揉めたよ。人も最初は20人ぐらいしかいなかったのを、人事が終わったあとに強引に増やした。初めてこのレースを見た時、戦争だと思ったからね。とにかく勝つために必要なことはすぐにやるんだと決めて、ここまで来るのに3年もかかった」


4年連続チャンピオンのチップ・ガナッシ・レーシングと契約し、トップ・チームをパートナーに迎えた2000年。必要なものをすべて手に入れたトヨタはいつ勝ってもおかしくないレースを開幕から見せ、もてぎでの活躍も、ある意味当然のことだった。ミルウォーキーで初優勝を決め、第11戦のミシガンでは一流の証とも言うべき500マイル・レースで初勝利。この年に計5勝を記録したトヨタは、勝てる確証をも手に入れたのである。


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