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All Races Review あの時の興奮をもう一度!・・・2002年


●フェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第3戦
ブリヂストン・ポテンザ500 4月25日〜27日





5年目を迎えた日本ラウンドは、初めてシーズン最初のオーバルとして開催。金曜日の予選は曇り空で気温17度と低くなったことから、タイヤの温度を上げるために最長5周(任意)のウォームアップが許可された。セッション終盤になってフランキッティ、ブラック、カナーン、ジュンケイラと目まぐるしくトップが入れ替わり、ホンダがトップに立ったかと思えば、次はトヨタが挽回するといった具合に激しいトップ争いが展開する。


前年にCART撤退を発表していたホンダによって、自分のコースで優勝する最後のチャンスとなったこの年。だがシーズンの開幕になって、ともに6年連続のドライバーズ・タイトルを獲得してきたレイナードが倒産を余儀無くされ、ホンダとチームは急遽ローラの使用を決断する。アンドレッティとトレイシーの二人は、使い慣れたレイナードをわずか2戦目のロング・ビーチで捨て、データのほとんどないローラで初めてのレース・ウィークエンドに臨んでいた。


一方のトヨタにしてみれば、ホンダ最後のシーズンは、すなわち自分たちにとってホンダより先に勝つ最後のチャンスでもあった。ホンダが唯一果たせていない地元日本での勝利を、なんとしても先に挙げたい。6年間一度もタイトルを獲ることができず、苦汁を嘗めてきた技術者たちにとって、それはまさに悲願そのものだった。もてぎだけは特別に計画が立てられ、主要なパーツはすべて顕微鏡やX線でチェックを行うほど、万全の体制で最後に賭けていたのである。


緊迫した空気がコースを支配し、最速を決める一台ずつの予選で、最後に登場したのはプラクティス最速のトレイシー。ローラで初めての予選に挑んだトレイシーは、自身のプラクティス・タイムを更新できず。唯一25秒台に入れたジュンケイラが前日に続いてトップに立ち、2001年のナザレス以来となる通算2度目のポール・ポジションを獲得する。初勝利に向けて一歩リードしたトヨタは、勝ち損ねた2年前のモントーヤ以来2度目の地元ポールだ。今度こそ優勝なるか。





前日までの曇り空が嘘のように晴れ渡った決勝日。7万2千人の観客が見守る中、午後12時35分、201周のレース開始を告げるグリーン・フラッグが振られた。ターン1へはポールのジュンケイラが真っ先に入るが、すぐに2番グリッドのカナーンがトップへ浮上。続いて3番手スタートのトレイシーも加わり、上位をホンダ勢が独占しながらレースは進んでいく。





ワンツーを形成し、圧倒的な速さで周回するホンダの2台、カナーンとトレイシー。ところが最初のピット後、トップへ立ったトレイシーのホイール・ベアリングが83周目に破損し、アンドレッティもリア・ウイングのステーが壊れて115周目にリタイアと、恐れていたローラの熟成不足が露呈する。これでトップは再びカナーン。リタイアした二人とは違い、カナーンはレイナードを使用していたが、そのカナーンをも排気管のトラブルが襲う。無情にも、白煙を上げたマシンはピットを目指すしかなかった。





ホンダ勢が相次ぐトラブルで脱落し、レースはジュンケイラと予選12位から追い上げてきたフォードのタグリアーニとの一騎打ちとなる。3位はホンダの頼みの綱、フランキッティだったが、途中チームがピット・タイミングを誤り、この時点で周回遅れとなっていた。迎えた終盤、167周目にタグリアーニをパスしてトップに立ったジュンケイラは、終盤も力強い走りでそのままゴール。ジュンケイラが初めてポール・トゥ・ウィンを達成したその瞬間、トヨタにとって念願の日本初優勝が決まった。


●(85kb-pdf)フェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第3戦 ブリヂストン・ポテンザ500 決勝結果





●優勝したブルーノ・ジュンケイラ(トヨタ/ローラ/ブリヂストン)のコメント
「トヨタのために勝てて、ほんとうにうれしい。トヨタがこの日本で勝つことは、とても大きな意味を持っているからね。今日の序盤はトニー(カナーン)と(ポール)トレイシーが一緒で、実際に彼らはとても速かった。彼らは1周目で僕をパスしようとしていたのは知っていたから、リラックスして、彼らがバトルするのを後ろから追うことにしたんだ。案の定、彼らに問題が起き、最後に勝利したのは僕だったよ」


●日本人ドライバーの挑戦





2002年は前年に引き続き中野と高木の二人が出場した。3度目の地元レースを迎えた中野は予選18番手からスタートし、着実に順位を上げていく。140周目のフルコース・コーション時に5位まで追い上げたが、リア・タイヤが脱落するトラブルが発生して後退。結局10位でフィニッシュする。高木は4位を走りながら、ピット・アウト時に前のピットのエア・レンチを踏んでペナルティ。これで後退した高木は8位でレースを終えた。





中野信治(ホンダ/ローラ/ブリヂストン)のコメント:
「困難が続いたレースウィークでしたが、チームのみんなは最善を尽くしてくれました。この努力はこれから必ず報われると信じています。レース中はウエイト・バランスの問題やアンダーステアに悩まされました。リア・ホイールが外れた時は怖かったですが、それでも最終的に10位に入賞できて良かったです」


●プレイバック2002年〜シーズンレビュー〜


もてぎの日本ラウンドが、シーズン最初のオーバル戦となった2002年。開幕戦は2001年同様メキシコのモンテレイで行われ、1ヶ月以上のインターバルをおいてロング・ビーチが第2戦の舞台となる。もてぎは4月27日の第3戦に移り、インディ500へ出場するチームのために5月のスケジュールが空けられることとなった。シリーズは6月から再開して北米圏を転戦。9月にはイギリスへ飛び、一度マイアミに戻ってから今度はオーストラリアへ。オーストラリアの翌週にカリフォルニアのフォンタナ500が開催され、11月17日のメキシコ・シティでシーズンが終了するスケジュールだった。


前年9戦あったオーバル・レースが、観客減少に伴い5戦に縮小。その一方でアメリカ国内のストリート・コースが2戦、カナダ、メキシコでロードコースがそれぞれ1戦の、計4戦がスケジュールに加わる。特にカナダ・モントリオールのジル・ヴィルヌーヴ・サーキットは、初めてF1と同年開催となり、注目を集めた。


前年、運営面での不手際により、すでにホンダが2002年をもってCARTを撤退することを表明。5月には2003年からのIRL参戦と、IRLの一戦をもてぎで開催することを発表した。一方、いったんはIRLと同じ3.5ℓ自然吸気エンジンの採用を決めたCARTだが、IRLが同じシャシーの使用を許可しなかったため、6月になってフォードが提案した2.65リッター・エンジンによるワンメイク案を採用。2003年から3.5ℓ自然吸気エンジンだけを供給すると決めていたトヨタの撤退が決まった。


エントラントにも大きな動きがあり、名門チーム・ペンスキーがIRLへ移行したのをはじめ、スポンサーの離脱によって数チームが消滅。またパトリック・レーシングやモー・ナン・レーシングなどが1台体制に縮小するなどして、CARTは大幅なエントリー減少に見舞われる。それまで最低だった2000年の総数である31人を下回り、この年は初めて30台を切る23台まで激減。前年の開幕戦は28台だったものが、この年はわずか20台となる。第6戦のポートランドではレースが開催できる最低出場台数の18台にまで減り、加えて、7年連続コンストラクターズ・チャンピオンのレイナードが開幕戦を迎えてまもなく倒産。チーム・グリーンやモー・ナン・レーシングはシーズンの途中でローラへと変更する決断を下した。期待のアメリカン・ルーキーのタウンゼント・ベルはシーズン途中で降板し、ルーキーはエアデス・コンペティションのマリオ・ドミンゲスだけがフル参戦。日本人ドライバーは引き続き中野と高木が前年と同じチームからの参戦となった。


シーズンは前年の第20戦、最終戦と連勝したクリスチアーノ・ダ・マッタが、2年連続の開幕戦制覇を成し遂げてスタート。第3戦のもてぎではチップ・ガナッシのブルーノ・ジュンケイラが優勝を果たし、トヨタが日本のマニュファクチャラーとして初めてもてぎを制した。レイナードの倒産に加え、早くからローラ・シャシーを使用していたトヨタ勢有利でシーズンが進み、第5戦からはニューマン/ハースのダ・マッタが4連勝を達成した。中盤、フォード勢とホンダ勢が巻き返し、レイナードを使用し続けたフォーサイス/フォードのパトリック・カーパンティエが第9戦と第11戦で優勝。ホンダ・エンジンを搭載するチーム・グリーンのフランキッティも第10戦、第13戦、第15戦を制するが、第16戦で優勝したダ・マッタが、残り3戦を残して自身初めてのタイトルを獲得することになった。また、トヨタにとっては参戦7年目で初めて手にしたドライバーズ・タイトルだった。


●(13kb-pdf)フェデックス・チャンピオンシップ・シリーズ第3戦 ブリヂストン・ポテンザ500 出場者リスト


●2002年トピックス
トヨタとともに成長したダ・マッタ





「自分たちと一緒に、苦しかった時代からずうっとがんばってくれたクリスチアーノ(ダ・マッタ)がチャンピオンになって、ほんとうに良かった」


現場で最後のシーズンを指揮してきたTRD USAの林博美は、第17戦マイアミでトヨタ初のチャンピオンとなったダ・マッタを、自分達の大切な僚友だと語る。


「彼はデビューした99年からトヨタ一筋で、まだうちがこんなに良くなる前から一緒でしたから。僕らの苦労をよく知っているし、僕らもクリスチアーノの苦労をよく知っている。ドライバーにとって、一番悔しいのはストレート・スピードで負けることだと思うんですよ。あの当時、うちのエンジンはそれほど良くなかったわけで、そういう状況でレースをやるというのが、最初の頃はそうとう辛かったと思います。そのドライバーが7勝もして、チャンピオンになったというのは、自分達もこれ以上うれいしいことはないです。他の誰よりもうれしいというか、苦しかった時代から一緒だったクリスチアーノが勝って、『自分たちが勝ったんだ』という気がしますね」


トヨタのエンジンを誰よりも知るダ・マッタがいたからこそ、初のマニュファクチャラーズ・タイトル獲得に繋がったと林は断言する。「クリスチアーノほど優秀なフィードバックをするドライバーはいないとみんな言っていますよ。一番トヨタ・エンジンのことをよく知っていますしね。もちろん運転技術も優れていますが、エンジンや車体に関して、どういう状況かをしっかりと教えてくれる。それに、どんなに接戦で走っているときでも周りの状況を把握しているし、燃費もいい。すごいドライバーですよ」


ダ・マッタの7勝を筆頭に10勝を記録した2002年のトヨタは、2000年の日本戦でデビューさせた予選スペシャルの片バンク・ターボ・エンジンを、レースでも使えるように熟成し続けてきた。それがこの年から認可されたトラクション・コントロールと抜群の相性をみせ、高地のレース以外、ほとんどの決勝で使用。タイトル獲得に大きく貢献することになった。


「最初のメキシコ(モンテレイ)でその良さに気付いて、他も絶対にやってくるだろうと思っていましたが、なかったですね。2桁、数十馬力も上がりましたから、かなり役立ったのは事実です。でも、それがすべてではなくて、モントーヤがいた2000年にチームがローラに換えて何度も壊れ、チャンピオンを獲れなかったことからも学びました。ローラはほんとうに華奢で、今年のホンダさんが苦労していたのが良く解ります。一時期、あんまり壊れるんで、3割以上うちでパーツを作り変えたこともあるぐらいですから。そういうノウハウがあって、初めてレースで速く走れるシャシーなんですよ。クリスチアーノもそうですが、エンジンだけでなく、そういった様々な要因がなければ、このシリーズでは勝てませんでしたね」


●2002年トピックス
ひとつの時代が終わり、新しい時代が始まる・・・





2001年にCARTからの撤退を発表していたホンダが、この年の5月23日にIRLへの参戦をアナウンス。6月16日にはCARTがフォード・コスワースのワンメイク案を採用すると発表したことから、実質的にトヨタもCARTからの撤退が決まった。それぞれのメーカーとともに戦ってきたチームはCARTに残るのか、それとも一緒にIRLへと移行することになるのか。シーズンが終わりに近づくにつれて、レースの裏側では様々な思惑がうごめいていた。


そのようなネガティブな要素を払拭するべく、CARTは異例とも言うべき早い時期(8月11日)に翌2003年のスケジュールを発表。新しい開催地のフロリダ州セント・ピーターズバーグを含む計20戦がアナウンスされた。続いて第14戦デンバーの週末、CARTに残ると決断したチーム・オーナーのU.E.パット・パトリック、カール・ハース、ジェラルド・フォーサイス、トム・アンダーソン(フェルナンデス・レーシング)、スコット・ローンブク(チーム・レイホール)、デリック・ウォーカーらがCEOのクリス・プークとともに記者会見を実施する。


だが9月17日にアンドレッティ・レーシング(チーム・グリーン)がアンドレッティやフランキッティ、カナーンとともにIRLへの参戦を表明。10月23日にはチップ・ガナッシがディクソンとともにIRLへ参戦することが公になった。最終戦目前の11月11日、モー・ナン・レーシングがトヨタと契約して高木とともにIRLへ参戦するなど、3チームの離脱が確定。チーム・レイホールやフェルナンデス・レーシングは、CARTとIRLの両方へ参戦することになった。


そのような状況の中、11月2日にブリヂストンはCARTのプレゼンティング・スポンサーになることを発表し、フォードも2年間のパートナーシップ契約を締結。IRLから移行するマイ-ジャック・コンクエスト・レーシングや、トランザムからはロケットスポーツが参戦することになり、元CART/F1ドライバーのステファン・ヨハンソンが新チームを結成する。


年明けにはクレイグ・ポロックとケビン・カルコーベンが新チームを旗揚げし、CARTとF1のチャンピオンであるエマーソン・フィッティパルディもチームを結成。新シリーズの名称が“ブリヂストン・プレゼンツ・ザ・チャンプ・カー・ワールド・シリーズ・パワード・バイ・フォード”となり、2月23日の開幕戦を皮切りに新生CARTがスタートすることになった。


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